伊予病院への旅-大きな実りを得て-
秋晴れ渡る午後、初の国体単独開催に沸き返る愛媛の地、松山の伊予病院を訪ねさせていただきました。
一泊二日の松山行は、伊予病院200名近いスタッフの前でCBAの話をさせていただく機会から始まり、道後温泉街の趣豊かな味どころでの懇親会、古式豊かな宿一泊、翌日は瀬戸内海を臨む初秋の松山城を堪能し、名古屋への帰路につく、という充実した時間でした。
この機会のきっかけを作ってくださったのは、伊予病院の大塚恵看護師長。ある日「CBAを使ってみたい」という突然の電話をいただいてからのお付き合いですが、昨年は名古屋の当院を訪れてくださり、行きつけの串焼き屋で語り合い、楽しい夜を過ごすなど、CBAをきっかけに濃い時間を共有してきました。とうとう病院へ呼んでいただき、多くの新しい貴重な出会いをいただきました。心から感謝しています。
藤田正明院長は、回復期リハ協会理事会でお世話になり、理事会後の「一杯」にもよくご一緒させていただき、お話を聞く機会もありましたが、今回はぐっと深く知り合うチャンスとなり、ほんとうに幸せでした。何といっても1992年当時働いていた徳丸病院で導入した「脳卒中予後予測システム-RES」の開発に、藤田先生も関わられていたという話には、なつかしさやらありがたさやら、胸がいっぱいになりました。RES開発者である中村隆一先生はもちろんですが、私にとっては徳丸病院にRESを入れる提案をしてくださった加倉井周一先生(当時東大、徳丸病院非常勤勤務)、そして私たちの最初の学会発表を何から何まで助けてくださった長崎浩先生(当時老人医療センター勤務)のお二人と過ごした熱い時間が蘇り、ほろ酔い気分も手伝って涙が出そうな心地でした。
私がCBAを作ろうと思った動因には、RESに関わった時に「認知機能」のデータとしてMMSEを用いることへの強い抵抗感があったことを、改めて思い返しました。「脳卒中の予後予測研究を進めるために、適切な認知機能の評価指標が必要」と思ったあの日の思いが、私の中で一直線にCBAにつながる滑走路のように思え、小さらぬ因縁に思い当たりました。ほんとうに、藤田先生に感謝です。リハ人生の前半に心を燃やした予後予測研究に今一度向き合い、「鵜飼リハCBA班は、ここから脳卒中予後予測研究にまい進しよう」と新たな決意を固めました。
勉強会で座長をしてくださった大塚奈穂子医師にも、心から感謝いたします。懇親会の最後の締めのごあいさつで、「「CBA4点以上とCBA3点以下」を臨床上で見極める視点、力をつけていくことが重要」というお言葉をいただき、私が考えている以上にCBAの本質をつかんでくださっていることに、深い敬意とありがたさを感じました。FIMのように多くの人に用いてもらうためには、わかりやすい視点、自分のリハケアに直結する明確な基準こそが重要であると、改めて認識しました。施設全体でCBAを使ってことには困難もありますが、核となるスタッフが考えたり、進めたりする手掛かりにCBAがなれるよう、先生のお力添えをいただければ、と願った次第でした。臨床家そのものである山下達也医師との出会いも、新鮮な感動でした。豪快な語らいの中に高次脳機能障害たるものの何かが溢れていて、心地よかったです。大宮での高次脳機能障害学会での再会を楽しみにしております。
懇親会や勉強会直前の打ち合わせ会に参加してくださった看護師、介護福祉士、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、ソーシャルワーカーの皆さん、楽しい夜をありがとうございました。伊予病院スタッフの仲の良さと溢れる活気に触れて、力をもらいました。ガールズトークに参加してくださった子育て中のママセラピスト達、在宅に配属になったばかりの猛者たち、松山のリハビリテーションを繰り広げていくのはあなたたちです。どうぞ、頑張ってください。
翌日訪れた朝の松山城では、改めて松山の歴史を学びました。昨年今年と、大河ドラマにはまっている私は、豊臣秀吉に仕えながら関ヶ原の戦いで徳川家康について松山城初代当主となることができた加藤嘉明という人物に興味を持ちました。後継者に恵まれなかった次の当主蒲生忠知に続いて、徳川家とゆかりの深い松平定行が親藩大名として松山に入り、以降松平家が明治へと続く200年余り産業と文化の広がる国として統治したことを知り、遠い時代へと思いを馳せました。
思わぬ素晴らしい時間を与えてくださった藤田正明院長はじめ多くの皆様、これからの伊予病院の発展と皆様のご活躍を祈っております。
懇親会後、伊予病院の素晴らしいスタッフたちと
大塚奈穂子医師、大塚恵看護師長と
おいしい料理とおいしいお酒と楽しい話の直後
神秘的な夜の道後温泉
美しい松山城
瀬戸内海を見渡して場内を散策